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立山参道 三十三観音 石仏
六地蔵摩崖仏
六地蔵摩崖仏(いぼとり地蔵様)
地域:芦峅寺
名称:六地蔵摩崖仏(ろくじぞう まがいぶつ)
場所:布橋の北側、芦峅寺の衆徒墓地
備考:幅 2メートル、高さ 1.3メートル、凝灰岩の一枚岩に像高 76センチメートルの地蔵立像6体を半肉彫り、江戸時代前期の作
六地蔵摩崖仏(写真:2023年9月2日 8時37分撮影)
赤い布橋と六地蔵摩崖仏(写真:2023年9月2日 8時37分撮影)
2024年、六地蔵摩崖仏(写真:2024年6月8日 9時26分撮影)
「芦峅寺の墓地」説明板(写真:2023年9月2日 8時37分撮影)
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芦峅寺の墓地
古くから芦峅寺では、集落の東、姥堂川を境に山手(東側)を「あの世」といい、鎌倉時代からこの地を墓域として現在に及んでおり、実に約700年の永きにわたる墓地である。また、この墓地の南側には、南北朝時代(1336〜1402)に建立されたと考えられる姥堂の基壇がある。この基壇は、昭和47年に、姥堂川に架けられた布橋とともに復元されたものである。
墓域には、鎌倉時代から大正時代までに、三十種830基の石造物が建立されている。これらの石造物のうち銘(年号等)があるものが357基で、江戸時代の後期(19世紀前半)のころには177基(全体の50%)が建立された。この頃は全国的に庶民信仰が広まり、信心の証として石造物が寄進されたものである。石造物の技法などから判断して鎌倉期の造作と思われるものも数基現存している。また、在銘のもののうち一番古いものは、永正3年(1506)の板石標で真言が彫られている。石造物の多くは地元芦峅寺の宿坊の衆徒(主人)の墓標であるが、これらの石造物のなかには、江戸城西御丸・江戸・名古屋・能登・越後など県外から寄進されたものもあり、立山信仰の広がりを知ることができる
富山県 立山博物館
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芦峅寺の衆徒墓地(写真:2024年6月8日 9時26分撮影)
立山参道 六地蔵摩崖仏 地図(Google Map)
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