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八乙女山
八乙女山 風穴、風神堂、鶏塚
風穴、風神堂、鶏塚(ふうけつ、ふうじんどう、とりづか)は、八乙女山 最高地点から南斜面を下って林道を歩いて10分の場所にあります。風穴と鶏塚は、「八乙女山鶏塚と風穴(やおとめやま とりづか と かざあな)」の名称で南砺市指定 史跡となっています。散居村展望広場から風穴まで登り 1時間45分です。風穴から栃原峠まで尾根道を登り下り 25分です。
毎年春の4月から5月にかけて、八乙女山から風速10メートル以上の強風が南砺市井波地区と周辺地域に吹き付けます。地元では、この強風は「八乙女山の風穴から吹き出す」とされています。どんな立派な穴だろ?と期待してハイキングしました。行って見ると、穴空いてるね~、風は微妙にあるような無いような、判らんね~、って感じでした。毎年6月第1日曜日ころに現地で「八乙女山 風神堂祭典」が行われ、風神を鎮めるお祓いが行われています。
八乙女山 風穴、風神堂、鶏塚(写真:2022年4月19日 7時39分撮影)
八乙女山 風穴地図(閑乗寺公園~八乙女山~風穴~栃原峠への登山ルート地図)
地図サイズ:640ピクセル X 380ピクセル
風穴、風神堂、鶏塚と周辺のコースポイント
風穴(写真:2022年4月19日 7時40分撮影)
鶏塚(写真:2022年4月19日 7時40分撮影)
鳥居と風神堂および風穴(写真:2022年4月19日 7時40分撮影)、風神堂は石造の小さな祠です。
南砺市指定 史跡「八乙女山鶏塚と風穴」説明板(写真:2021年3月27日 10時02分撮影)
南砺市指定 史跡
八乙女山鶏塚と風穴(やおとめやま とりづか と かざあな)
昭和36年6月14日指定
井波地域は風が強く、人々は風穴から大風が吹き出すものと信じ、風神堂(不吹堂 = ふかんどう)を建てて風神を祀ってきました。
奈良時代に越前の僧、泰澄大師(*1)が八乙女山山麓に止観寺を建立した時、大風に悩む人々のために、風神堂を建てて風神を鎮めました。しかし、数百年後、福光城主の石黒氏が試しに祠のしめ縄を切ったところ、たちまち大風が吹き始め、それ以来、毎年暴風が吹いて人々を苦しめました。瑞泉寺を開いた綽如上人(*2)は、人々の懇願によりお堂を再建してお経を納め風の神を鎮めました。しかし、上人の死後、落雷でお堂が焼失したので再び暴風が吹くようになったと言います。
風穴の近くに円形の塚があります。この塚は元旦の朝に鶏の鳴き声がすることから、鶏塚と呼ばれるようになったと伝えています。芭蕉の弟子でもあった瑞泉寺11代目住職の浪花上人は「鶏塚の記」に、八乙女山に登り、風穴と鶏塚を訪れ、俳句を詠んだことを記しています。
「鶏塚に 耳あててきく いとど(コオロギ)かな」 浪花
平成2年10月
南砺市教育委員会
*1:泰澄(たいちょう、尊称として「泰澄大師」「泰澄上人」など、西暦 682年7月20日(天武天皇11年6月11日)生まれ~767年4月20日(神護景雲元年3月18日)没)は、奈良時代の修験道の僧です。加賀国(現在の石川県)白山を開山したのをはじめ、富山県南西部の主要な山を開山したとされています。
*2:綽如(しゃくにょ、尊称として「綽如上人」、1350年4月22日(観応元年3月15日)生まれ~1393年6月4日(明徳4年4月24日)没)は、南北朝時代の浄土真宗の僧で、浄土真宗本願寺派第5世宗主・真宗大谷派第5代門首です。第5世宗主となってまもなく、寺務を法嗣である子の巧如に委任し北陸に赴き越中国杉谷(現在の富山県南砺市閑乗寺公園近く)に草庵(瑞泉寺の起源)を構えました。後に朝廷への貢献を認められ寺院の建立を認められ北陸地方で勧進を行い、集めた浄財で1390年に井波の地に寺を建立し「瑞泉寺」の勅号を賜わりました。1393年に44歳で示寂(死去)しました。
積雪期の風穴(写真:2022年3月12日 13時15分撮影)、やはり風が吹き出してるのか?これだけの積雪でも穴が開いてました。
雪に埋もれた鳥居(写真:2022年3月12日 13時15分撮影)、しめ縄が切れてます・・・、不吉だ~、振り返ると2022年は結構大変な年でした。2月末にロシアによるウクライナ侵攻が、その後の物価高が激しかったです。
八乙女山 風穴、風神堂、鶏塚 地図(Google Map)
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